Monthly Archive: November, 2012

ひねくれブスと結婚式の葛藤

二十代後半、ここ数年私の周りも怒濤の結婚ラッシュが続いている。 しかしながら、海外在住となると日本にいる友人の結婚式に欠席せざるを得ない場合が多く、招待状を頂く度に心苦しい思いでいっぱいである。ニューヨークから祖国はさすがに遠く、生活保護よりギリギリ上くらいの低所得者の私には航空券代すら捻り出せない事が多い。更に違法スレスレの有給しかないので、休むorクビの酷い労働環境…。せめて台湾、韓国あたりに住んでいればもう少しフレキシブルだったのか。まあ、貧乏は自分の責任なので、なんとも情けない話である。 さて、今回は私自身が結婚式を通して経験した、ひねくれブス特有の葛藤についてお話させて頂きたい。 私が結婚式を挙げたのはかれこれ3年近く前、当時は二十代半ばだったので同級生の中では早い方だった。 「晩婚と思われていたお前が…」 「ええ、まさか田上が結婚?」 驚く周囲。予想通りの反応に、やはり自分が地味+誰にも拾って貰えないキャラが定着していたのかと改めて実感した。 結婚は絶望的と思われていた娘が嫁ぐと聞いた両親はこの上なく嬉しかった様子で、有り難い事に私の為に式を挙げてくれるという話になった。私の要望と予算の関係で、親族のみの神前式+1.5次会披露宴といった、とてもささやかなものでとなった。結婚式は実家のある京都で行われ、主人の両親もアメリカからわざわざ駆けつけてくれたのも感謝している。 ちなみに母親にまで「あんたみたいなブスを拾ってくれる物好きがおるとはなあ。感謝しよし。」と言われた挙げ句、私も自分の顔と性格を考慮した上で、今回を逃したら一生結婚出来ないであろうと予測し、正直少し焦っていたのもある。 要するに国際結婚にありがちな、祖国の女に相手にされない負け犬白人が黄色人種のブス女を拾い食いした典型的なパターンがこの私である。結婚後の苦労が計り知れないという話はまた次回お話させて頂こう。 さあ、式場も決まり準備が進むとなると、ブス女特有の葛藤の始まりである。 ミッション1:ウエディングドレス 女性ならほとんどが憧れるであろうウエディングドレス。 私もこっそりと憧れていたのであるが、ここで自分のビジュアルとの葛藤があった。私のようなブスがウエディングドレスを着た場合、単なるコメディーショーになるのではないか?ゲストの方が美人なのは確実なので、自ら道化を買って出るような真似事をわざわざしなければならないのか?わざわざ「あのブス」と後ろ指をさされて笑われる為にお金を掛けて式を挙げるのか?果たして私の様なブスを祝福してくれる人はいるのだろうか?自虐が特技な私も、さすがに人生で一回位は主人公になってみたいと思っていたが故の葛藤である。僻み女の記事でご紹介した通り、来賓の売れ残りお局が花嫁のドレス姿を中傷していた事が軽いトラウマになっていたのも手伝い、酷い被害妄想に悩まされていた。毎日、『ブス 結婚式』『ブス ウエディングドレス』とグーグル検索を掛けては記事を読み漁り、ため息をついていたのである。幸い、私の友人は皆心優しい謙虚な良い子ばかりなので、主人公より目立つような非常識な服装で来るビッチは誰一人としていなかった。インターネットの記事を読んでいて、花嫁より目立つ場末のホステスみたいな服装の女や全身白で出席する非常識な女達の存在を知って心底驚いた。映画や小説の話かと思いきや、事実は小説より奇なりである。 余談だが、結婚式のDVDを一度も観ていない。何が楽しくて自分の顔を映した動画を観なければならないのか。それこそ『笑ってはいけない結婚式』ではないか!両親は喜んで何度も観て感動していたそうだが、自分の娘フィルターというのは恐ろしい。 ミッション2: 披露宴に誰を呼ぶか 私ごときの自己満パーティーに誰が来たがるのか。 呼ばれたら迷惑だろうと思い、当初は地元の友人5〜6人と恩師のみを招待する予定だった。しかし、中・高・大で仲良くしてもらっていた友達を誘わないのは結果的に失礼に当たるのではないか、と思い直したのである。とても申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら「気が向いたら来て下さい」程度の気持ちで10人近くに招待状を送った。すると、人伝いで私が結婚すると耳にしたらしい友人達がお祝いのメールをくれたり、または「是非式に呼んで」と有り難い事を言ってくれる子が多く、我ながら友人には恵まれている幸せ者だと痛く感動したのを覚えている。それでも気を使って極力は招待しないように心がけていた。すると、高校時代の友人と去年再会した時に「私、田上の結婚式に招待されなくて凄くショックだったんだけど…」と言われてしまった。私から言わしたら呼ばれたら迷惑を掛けるだろうと思い込んでいたので、本当に申し訳ない事をしてしまったと反省している次第である。(彼女に「次の結婚式には絶対呼ぶから!」と言うと苦笑いしていた) ミッション3:名字変更 結婚となると、名字が変わる。しかし、アメリカは夫婦別姓が認められているので私は名字を変えなかった。旧姓田上のままである。「カメラマンとして活躍するポートフォリオの名前は、田上スカイラーのままじゃないと嫌」と表向きはカッコ付けた事をほざいていたのだが、真相は今ここで初めてお話する。まずは書類上の名前変更が面倒だったこと、そして自分が主人の西洋的な名字を名乗るのがどうしてもコンプレックスに感じてしまったからである。仮に私の本名を米子として、「マッカートニー・米子」と事ある毎に名乗らなければならない。第一、私如きの人間が西洋の名字を名乗ろうなんて生意気なのだ。この顔で「マッカートニー」だなんて、調子に乗っていると思われるに違いない。名乗る度に「国際結婚したブス女です!」と自ら公開処刑するようなものである。ああ恐ろしい、顔だけで十分ハンディキャップなのに、これ以上自分の首を絞めるのはよそう。自分イジメ、ダメ、絶対。ちなみに、フェイスブックでは主人の名字を名乗っているので、話が矛盾している。ここにも複雑な思いがあるのだが、私は小•中の地元同級生と自分の出身地が大嫌いなのだ。特に何があった訳でもないが(本当の事言うと、ちょっと虐められてた)誰にも見つけられたくないからである。奴らに見つけられる位なら、旦那の名字を名乗った方が断然マシなので、やむを得ずの対策だ。 おまけ: 披露宴にて。結婚をこれからに控えた夢見る女子達が「結婚した決め手は?」と私に訊いてきた。恩師も横にいた。そこで、「いやあ、ノリで結婚しやしたっ!」とキャンドルを手にのたまわってみると、そこに居た全員がドン引きだった。皆様苦笑い、しまった、エラいこっちゃ。自虐もやりすぎると良くないのね…。 最後になってしまいましたが、これから結婚式を控えている皆様の式が、生涯の思い出に残る素晴らしい日になる事を心よりお祈りしております。

バンドマンの彼女

「こんな事になるのであれば、十代の間にバンドマンにヤリ捨てされとけば良かった。」 いわゆる「青春浪人」(青春時代に遊び尽くせていなかったしわ寄せで悶々とする二十代)の私とサブカル仲間の友人は、深夜ニューヨークでジャズを聴きながら嘆いた。目の前で西洋版・オダギリジョーがクラシック・ベースを演奏していてこんな話題になった。余談であるが、このバンド内だと誰とヤレる?と、会話の内容は男子中学生と変わらない。「ヤってみたいディズニーの王子様」にまで話が飛躍した。もちろん、普段からジャズを聴く様なお洒落仲間ではない。この5分前にはお気に入りのアダルトビデオについて真剣に議論していた。 話が逸れてしまう前に本題。 バンドマン、フォトグラファー、ダンサー、ライター、映像作家、デザイナー…いわゆるアーティスト系のクリエイティブな職種の男性は女性のハートをくすぐる魅力に溢れている。 特にミュージシャンは、見た目は普通のお兄さんでもステージに立っているというだけで10割増でカッコ良く見えるのだ。一般的にバンドマンはモテ男が多い。 しかし、彼らと真剣にお付き合いをする上での問題点は、定職に就いていない(就けない)ダメ男が多い点ではなかろうか。 私はバンドマンと付き合った事がないので、リアルな実体験を報告出来ないのが非常に残念ではあるが、バンドマンと付き合っていた知人の何人かは確かに苦労していた。最低限の収入はアルバイト、やれスタジオだのライブだので常にお金がない。彼女に金を無心するのである。その上、女ったらしという取って付けたようなダメ男が多かった。皆が皆そうではないが、傾向としてバンドマンは誰よりもステージで演奏している自分を愛しているので、その彼女はことごとく振り回される。彼女が彼を思って料理している横で、当のバンドマンの彼氏は、ロッキン・オン・ジャパン(あるいはローリング・ストーンズ誌)にインタビューされた時の自分を想像している。そんなダメ男達の魅力といえば、やはりライブでギターをかき鳴らしている時の格好良さだろうか。興味のない人間からすれば、完全に自分に酔っているただナルシストに見えると思うが、やはりミュージシャンが演奏している姿というのは魅力に溢れている。極端に言えば、カート・コバーンに言い寄られて断る女性は少ないと思うのは私だけだろうか。私の場合、カートとなら火遊びでも!と秒殺である。 実際、アマチュア・バンドのショーを観に行った時、「お持ち帰りされ待ち」の若い女の子をよく見掛ける。過疎化しているライブハウスの最前線でキャーキャー言いながら、やたらと露出度の高い服を着ている。ぼったくりのビールを右手に、最後尾で冷静に人間観察している30代手前の自分が少し悲しくなる。 しかしながら、冒頭でも触れたように、私個人的には、まだやり直しのきく十代から二十代前半の間に、こういったダメ男に徹底的に遊ばれておけば良かったと非常に後悔している。 映画「あの頃のペニーレインと」(“Almost Famous”)をご覧になった事はあるだろうか。駆け出しで売れ始めたバンドの追っかけをする女の子がリアルに描かれているので、まだ観た事ない方は是非ともチェックして頂きたい。私が思い描くバンドマンとの恋愛の世界はこの映画に凝縮されている。 他のファンの女の子と君は違うんだよ、と特別扱いされて優越感に浸ってみたり、誕生日に自分の為に作詞作曲してくれたラブソングを弾き語りでプレゼントしてもらったり、ライブで「僕の大切な人の為に歌います。」って言われてみたり、彼のカッコいいステージをサポートする為に働く自分に酔ってみたり、自分たちをヨーコとジョンだの、ナンシーとシドだの、コートニーとカートだのとことごとく美化して感傷に浸ってみたり、別の女との浮気が発覚して怒鳴り散らして同棲中のアパートを飛び出してみたり、なかなか刺激的ではないか。 しかしながら、こんなエキサイティングで危険な恋愛を今から楽しめるか?と言うと、正直私にはそんなパワーは残っていない。一応結婚しているというのもあるが、もし独り身だったとしても同じ意見であろう。心は17歳でも、もうこれ以上失敗出来ない年齢というのが現実なのだ。取りあえず定職に就いている、浮気しない男性が一番だと思うのは、自分が年を取ってしまった証拠だと感じずには居られない。 やはり、バンドマンとの過激な恋愛は、妄想範囲で収めておくのがケガも火傷もしなくて済みそうだ。