りんごの娘

とある学生アパート。 当時、大学一回生で東京に住んでいた。 深夜1時頃、課題の映像編集が終わらず、徹夜覚悟で挑んでいたので、 軽く覚醒ポイントに突入している時間帯だった。

すると、ドアを叩く音がする。こんな深夜に誰だ? セキュリティ万全のアパートだったので、多分泥棒ではないだろう。 むしろ、泥棒が丁寧にドア叩いて入って来る訳がない。

覗き穴に映ったのは、寝巻き姿の可愛い女の子だった。 不信人物には見えなかったので、取りあえずドアを開ける。

女の子「助けて下さい、気分が悪いんです…。」 著者「え?それは大変!大丈夫ですか?救急車呼びましょうか??」 女の子「いえ…救急車は大丈夫です。隣に住んでるのですが、東京に着たばかりで ホームシックにかかってしまいました。不安で3日3晩眠れなくて、気分が悪いんです…、今夜、泊めてもらってもいいですか?」

取ってつけたような三流ドラマ展開。 著者が男性ならば内心ガッツポーズで浮き足立っていたのだろうけど、あいにくアパートは女子寮だった。 どう見ても悪そうな子ではない、他人を疑うことを知らない目をしている。 それに本当に顔色が悪い。何れにせよ徹夜の予定で、 おまけに取られて困るような物は何一つ持っていない。 追い返すのも可哀相なので、泊めてあげる事にした。

著者「何か飲みますか?ココアとかありますよ?」 初めての家デートを思わせるあの緊張感、ただし今回の相手は少し特殊。 女の子「いえ、大丈夫です。」 気分が悪そうだったので、取りあえず布団に入るよう促した。 安心したのか、すやすやと眠る女の子、眠眠打破片手に編集を続ける著者。 ワンルームアパートであることも手伝って、訳の分からぬ緊張感が漂ったまま朝を迎えた。 女の子「ありがとうございました!お陰様でぐっすり眠れました!」

元気な顔色を取り戻した様子で何より。 著者「いえいえ、いつでもどうぞ…。」 寝不足が手伝い、バトンタッチで青白い顔の著者…。 それにしても、普通のアパートで彼女が同じ行動に出ていたかと思うと、 想像するだけで恐ろしい。なんせ東京、あらゆる所に危険が潜んでいる。 翌朝、大学の友人に上記の旨を話す。 友人「お前、いい人過ぎ!俺なら絶対追い返すよ!」 著者「よお言うわ!夜中にあんなべっぴんが’泊めてください’って来たら 二つ返事で快諾するやろ、自分!」

そして一週間が経過…。 夕方、晩御飯を作っているとまたドアを叩く音、例の女の子だった。 「この前はありがとうございました。実家から送ってきた物ですがお礼です。」 紙袋に山盛りの青りんごをくれた。彼女は青森出身だったらしい。 完全個人主義の東京生活に少し疲れていた著者には嬉しいサプライズだった。 半年後…学校から帰宅すると、引越し作業が繰り広げられていた。 ドアの前には彼女。 著者「引っ越されるのですか?」 女の子「はい、家庭の事情で実家に戻ることにしました。以前は泊めて頂いてありがとうございました。」 著者「いえいえ、とんでもない。お元気で。」 お互いの名も知らぬままの別れとなってしまった。 彼女は今、どうしているのだろうか。心無い人だらけの街で、彼女の素直さと礼儀正しさには心打たれた。 短い東京生活で、貴重な体験とおいしいりんごを提供してくれた彼女には、未だに感謝している。